先がぜんぜん見えない、どこに向かっているのかわからない、不安いっぱいに品川の上の方から夜景の途中を見た 一緒にいてくれたひとのおかげで忘れえない時間だったことは本当、だけどわたしはただみじめだった

先がぜんぜん見えない、どこに向かっているのかわからない、不安いっぱいに品川の上の方から夜景の途中を見た 一緒にいてくれたひとのおかげで忘れえない時間だったことは本当、だけどわたしはただみじめだった

朝 ソフール、バナナ、コーヒー
昼 酵素玄米、納豆、もらった鹿肉
夜 GOTOのベイクドチーズケーキ
・日記らしい日記をつけられなくて困る。
・ひたすらに自分に向き合う時間が続く。振り返れば1年くらいこういうことを繰り返している。
・どうしても自分以外のなにか、たとえば組織、他者、物語、虚構でも、なにかを案じることで埋めたくなってしまうけど、それがなくなったらまた大きな穴があるだけだと思うと、時間があろうと、埋めるために出会ってはいけないと思う。あるいは穴がある状態で接したい。
・今日のことも前進だ。他人の未来にすがりつかない。もっと楽しく出会いなおせる。
・「自由の刑!」と言ってもらって、本当にそうだと思った。私の孤独を孤独のままに、ただ見ていてくれるひと。
・それでも、ぼんやりし続けても仕方ない。確信はあとからついてくるから、いいと思えるものに触れ続けること。私もつくろうと思えるから。そういう意味ではひとりにならないこと。
・結局はじめから変わらないと気付いたとしても、自分の言葉になって出てくるには地層が必要なのだ。地層の重みで燃料を作る。死んだ有機物を重ねてプレスして変質させる。重要なのは、死んだ有機物の数だ。

朝 バナナとコーヒー
昼 五反田 おにやんま 鶏天うどん
夜 銀座 紅鹿舎 野菜と鮭のスパゲッティ
・炭水化物を2食も食べられなくなってきた。むしろそれでちょうど良い。
・東京都庭園美術館の展示「そこに光が降りてくる」、よかった。青木野枝さんのノートを自分の手帳に書き写した。彼女は彫刻を、世界を知るためにやっている。あなたとコミュニケーションをとるためにやっている。とても共感する。わたしも、あなたと話がしたいから料理をする。
・「爆発」のみが芸術だと思われがちだが、もちろんその側面もあるだろうが、芸術はおもいのほか想像しうる人間の手によって、あらゆる試行錯誤を経て組み立てられているとようやく理解できるようになった。色んな人のつくる姿を見たり、私もつくってみたりしたからだろう。これも明らかな成長だ。
・「早くこっち側に来てください」。むかついたけど、私もそうしたい。先頭を走っている人は、つまり今まで誰も言ってこなかったことを言わなければいけないひとは、怖いのだ。私はまだそこにいない。私はまだ怖くない。悔しい。

朝 お茶たくさん
おやつ フランボワーズチョコケーキ(祖母のホームにて)
夜 つみれ汁 めかぶ納豆 ヒレカツ恵方巻き
佐賀から帰ってきて、生活が始まった。暇で貧乏なので自炊をするしかない。自炊をする生活は久しぶりで、東京に住んでからは初めてのことなので、すこし新鮮。前に住んでいたところみたいに近くに農家さんがいるわけではなく、野菜の直売所ももちろんない。それがかなり恵まれた環境だったということはわかるが、しかし、最寄りのスーパーに行ってみたところ、食べたいと思えるものが本当に少ない。たぶんこの辺りのほかのスーパーに行っても、品揃えはだいたい同じ様子だろう。生きている食べ物は当たり前には流通していないのだ。では食べたいものといえば、近くで採れた季節の野菜やくだもの、あるいは加工品であれば原料の由来がわかるもの、漬物など保存食ならば出来るだけ手作りしたもの。贅沢なのだろうか。
みんな、暮らしをどうしているんだろう。なにを感じながら毎日の食卓をこしらえているんだろう。かんたんに手が届く範囲のものが、どうしてここへ来たのかわからないものばかりだ。小さくてもいいから作りながら暮らすことを当たり前にできないだろうか。

夜
かぶ
春菊と鯛 生春巻き
ねぎ 納豆味噌とくるみ
黒米とわたりがに、八頭
にんじん
かぶは皮を落としてざく切りに。塩をして鍋の中で少し置く。水分が出てきたら火をつけて、底が焦げないように日本酒と水を少し入れ、沸騰させてから弱火でぐつぐつ。ぐずぐずになったらミキサーで滑らかにする。塩で味を整えておしまい。簡単。かぶにくっついていた茎を小口切りにして、バターで焦がし炒め、スープの上に乗せる。このアクセントが好評だった。
春菊はさっと茹で水気を切り、鯛は強めに塩をしたあと昆布締めに。アクセントとして富澤さんの元寇(酢みかん)を一緒に巻いたら、柑橘の味に持ってかれてしまった。慌てて塩ごま油と一緒に食べることにしたら、酸味がちょっと隠れてなんとかなった。春菊は倍あってもよかったかもしれない。
ねぎは6cmくらいの長さに切って焼くだけ。とろっとさせたいので、焼き色がついた時点で少し水を入れて蓋をしてすぐ開ける。ソースのほうを先に作る。くるみは砕いて炒っておく。ごま油を熱して、刻んだにんにく、自家製納豆味噌、冷蔵庫で寝ていた甜麺醤、どぶろく酢。加熱しながらよく混ぜ、乳化っぽくなったらくるみを入れておしまい。この自家製納豆味噌を愛している。そろそろ2年ものになるが、ずっとおいしくなりつづけていてすごい。これのおかげで、八丁味噌と酢と油の組み合わせにずっとハマっている。
黒米はノーマで余ったのをもらった。ノーマの真似してイカ出汁で炊こうかと思っていたけど、近くのスーパーにちょうどいいサイズのワタリガニがあったので、カニ出汁に変更した。米は4時間くらい吸水させて、ざるにあげておく。鍋に油を入れよく炒めたら、やや煮詰めた熱々のカニ出汁を入れて、オーブンに突っ込んで180度20分くらい。思いのほかちょうどいい粒感に炊き上がってたいへんよろしかった。2人なら一合でちょうどよかった。八頭の収めどころが難しかったので、ローストしたあと油でカリカリに焼いて、リゾットに添えた。なくてもよかった。
にんじんはマルタ風。アルミホイルで包んで芯まで柔らかくなるまでローストした後、アルミホイルを開けて、水分を飛ばすように低温でローストを続ける。底が焦げるのでたまにひっくり返す。表面がしなしなになったら、フライパンにバターを多めに溶かし、吸わせるようにソテーする。ちょっとシナモン。バターの香りづけにクミン、キャラウェイがあればそれも。最後の塩が重要。デザートとしてのにんじんが大好き。
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酒屋の彼女が酒を持ってやってきた。1本分のサイズのボトルバッグに四合瓶を2本入れて持ってきており頼もしい。最近、珍しくよく会っている。お互いの人生が落ち着かず、話せる相手が互いくらいしかいないからだろう。ここ1年は、初めて私が彼女の家に行ったり、初めて彼女が私の家に来たりした。互いの仕事内容の発展のおかげで、私が料理をして彼女が酒を用意するという役割分担が明確になり、ついに最高の宅飲みができるようになった。お世辞かもしれないが、すべての料理に彼女は美味しいと言ってくれ、鼻が高かった。こういう日のために私は料理をしている。作りながら飲んでいたら、いつのまにか四合瓶が2本とも空いていた。でも白湯もめちゃくちゃ飲んだので翌日はふたりともケロッとしていた。次に会うのはちょっと先な気がする。ダラダラと連絡することはしない、そういう関係なのだ。

朝昼 バナナとヨーグルト
夜 吉祥寺 ひだまり
・「何者か」についての議論をしていたとき、自分の口から「何かを愛しているというだけで十分だと思う」と出てきてびっくりした。私がただそうしたいだけなのかもしれない。押し付けて申し訳ない。
・でもそろそろ気づいているのは、ひとりでも誰かといても、諦めずに暮らしているだけで、すでに成しているということ。それ以上の富や名声も自由。求めたらいい。
・ちなみに、見返りを求めると大抵うまくいかないことも、なぜか知っている。
・度を超えて率直な言葉。つらいとわかりながら言う。嘘を発さないのは自分のため。だけど、嘘があなたのためになるとも思わない。
・あれは呪いか。
朝 有明のりと鯖缶のお湯割り ライスペーパー
おやつ クレープもどき
夜 アラブのデーツ 午後の紅茶レモン
・お正月の井の頭公園はきらきらしていた。
・顔を埋めたジーパンは他人の匂いがした。
・貰う言葉がまぶしくて目をほそめる。
・安心して言葉を発することができる。丁寧に汲み取ってくれると信頼しているから。もしくは間違いに気づいてくれると信頼しているから。
・自分の性別についてほんとうに思っていることを少しだけ話した。その冷たさはだれかを傷つけてしまう。私の命に対する解釈はフェミニズムには許されない。
・できれば愛を
朝 納豆と白ごはん
昼 父中華 かた焼きそばなど
夜 もらってきたおせち、蟹、父グラタン
兄家族が仙台からやってきた。奥さま、ちいさいひとたち。ちいさいふたりは人見知りをしてママのほうばかり向いている。
ババもきた。毎年一緒に年越してるババ。今回の年末は一緒にはいられなかった。昨日電話したら、「ここは綺麗で、明るくて、あったかくていいんだけどさ、ひとりじゃさあ、つまんないよ。みんなといたい」って言ってて、涙が出た。彼女は私と話すときにいちばん弱音を吐く。
みんなに気を遣って料理をふるまう父。私はそのスタッフのように気遣いを行き届かせる。昼ごはんもみんなが食べ終わった後、ふたりでまかないみたいに食べる。私もそっちのほうが心地よい。
お母さんもいる。咳き込んだりする。年が明けましたよ。みんな元気です。賑やかなのがわかっていたらいいな。
家族のことを書くと涙が止まらなくなる。

朝 おせちの続き
昼 お雑煮(ババの味)
ついに京都生活が終わり、東京に帰ってきた。昨日まで京都の山奥でおせちをつくっていたが、それ以降特にやることもなく、新幹線に乗ってそのまま実家に帰った。
誰かとやいやい言いながら紅白歌合戦を見るのが年末の楽しみである。色んな大人たちの一所懸命なおしごとを拝見するありがたみ。父とちょっとお酒を飲みながらそれをやったら楽しかった。父も楽しそうだった。
元旦、やはり別にやることもないし、ふたりぶんのお雑煮をつくった。合わせ出汁、鶏肉、ごぼう、にんじん、大根。東京風。何気ないふつうの自炊。父に「ノーマの雑煮はどんなもんか」と茶化される。普通だよ、と言って食べた。おいしいとのこと。
引っ越し先となる祖母の家の下見に行った。思ったより念入りな掃除が必要そうだったけど、悪くない環境だと思う。帰りに西新井のブックオフに寄って、買うつもりはなかったのに結局3冊も本を買った。なぜか読んだことがなかった「ナナメの夕暮れ」を見つけたのでそれも。近くのサンマルクカフェに入り、いまこの文章を書いている。このあと本を読み、それからスーパー銭湯に行って、ちょっと遅く帰る。若林氏も「結局、本を買ってドトールで読むのがいちばん好きな休日の過ごし方」みたいなことを言っていたけど、強く共感する。去年の仕事が終わってからとにかくひたすらゆっくりしようと心がけているが、しかしあまりに平和ボケしているかもしれない。
朝起きて、眼鏡屋に行って、奈良にシチューを届けに行って、ちょっと買い物をして帰ってきた。それ以外あんまり何もしていない。体調はずっと悪く、とくにずっと頭と首が痛くて気持ち悪い。こんなに暇ならスラムダンク全巻読むとかやればいいのかもと思ってブックオフの場所を調べたりしたけど、そんなことを実際にやる気力はない。デフォルトで鬱だ。元気があるほうがめずらしい。気持ちがこうなのはいったん仕方が無いとして、体の調子はもうすこしどうにかできる気がする。少しずつ痛みをのばして柔らかくして、負荷をかけてもストレスに負けないくらいにしたい。
食べたいものがない。お腹がすいて京都駅の地下の飲食店街をふらついたけど、なにもかもわからず、すぐに入れそうだったおいしくなさそうなラーメン屋に腰を下ろした。やっぱりそんなにおいしくなかった。野菜はいいけど、麺は食べたくないと思いながら食べる。それでも毎日糖質を摂取してしまうのは、快楽だから。最後に自分の食生活を肯定できたのはいつだろう。「なぜふつうに食べられないのか」を読んだほうがいい気がする。
よくない言葉しか出てこない。暇なのだ。